40代の初留学✈️フィリピンのタガイタイで Face to Face に行ってみた

Tagaytayのcafe情報を中心に☕️🍰 コロナの影響で状況は変わっているカモ⚠️

留学までの道のり

【小学校6年生】の頃から英語塾を始めたせいか、中学校では英語の授業が好きだった。

当時も交換留学生やホームステイなどはあったが、「留学ってのはもっと明るくて積極的で成績優秀な子が行くもの」と自分には行く資格がないと思っていた。

【中学3年】の冬。微熱が1ヶ月以上下がらなくなり通院→SLE発症。

今のようにネットでの情報もなく『治らない病気』『一生薬を飲み続ける病気』だから、私は親元で安全に暮らしていくしかないと思っていた。

【大学生】になり『国際交流』のサークルがあるのは知っていたが『英語の話せる人が行くところ』『社交的な人が行くところ』と思い、参加する勇気がなかった。大学には交換留学制度もあったが、日本語でも授業を理解出来ていない私にはとても申し込める状況ではなかった。笑

【社会人】になりOLをしていた24歳の頃、SLEが悪化し入院。『仕事辞めて何かしようかな。看護師の資格取るとか』と考えた。留学も思い付いたがお金の目処もたたず、その頃は彼氏1番だったから数ヶ月日本を離れる決意が出来なかった。そんな矢先、独学で受けていた保育士資格を取得することが出来たので転職を決意。

【保育士(27歳〜)】は給料も休日も減ったけど毎日子どもと関われる事が楽しくて幸せだな毎日。ただ夏も冬も外遊びがあり、年1ペースで入院🏥最終的には解熱剤を飲んでも40℃の熱が出るようになってしまい、緊急入院🚑。SLEからの合併症で無菌性髄膜炎血球貪食症候群を併発してしまった…

【32歳】保育士も退職し、病み上がりで貯金も乏しい中一人暮らしは厳しいと判断し実家へ。入院中に「膠原病内科病棟だからかもしれないけど、看護師って慣れてしまえば意外ラクなのかな?一生の資格だし、働き方選べるし、何より食いっぱぐれない。時給が高いし、前にも看護師資格取ろうか考えたことあったんだし年齢的に最後のチャンスかも」と考え、一念発起して看護学校へ入学!実習がハードで一度入院したけれど、周りの理解と協力もあり何とか3年で晴れて卒業🎊

【36歳】一番人間関係が良いと選んだ病棟は、院内で1、2を争う激務病棟💦「ここで働ければどこでも働けるから!」と言う言葉を励みに働く。が、後半は残務が半端ない量になり少しずつ体調を崩し…本格的に発病する前に6年半で退職。看護師時代に年に数回海外旅行に行ってはいつも英語が話せず歯痒い思いをしていたのと、先輩が『私、今好きなことが出来るなら留学をする』と言っていた言葉が忘れられず、退職を考え始める。「今を逃したら人生で留学へ行く機会なんて2度となくなってしまう!留学へ行こう!」と決意。

【42歳】いろいろ調べた結果、留学費が安い上にマンツーマンレッスンを受けられるフィリピン留学をチョイス。

学校選びの基準は…

  • 持病について一番理解を示してくれた(診断書不要、膠原病患者受け入れの経験あり、校長、スタッフともに看護師経験者あり)
  • 日本人経営で少人数制
  • 先生と一緒に生活出来る
  • 学費

タガイタイ市にあるFace to Faceという学校に決めたのでした。

 

結局、3ヶ月+追加の2ヶ月+αの留学をしたので。

私の知ってるタガイタイ市と学校、そして留学中に一番楽しんだcafeについての情報を私の主観でお伝えしていきます😊